| 会社名 | 浦工務店 |
| 郵便番号 | 〒599-8114 |
| 住所 | 大阪府堺市東区日置荘西町6-32-50 |
| 代表 | 浦烈晴(うられっせい) |
| 携帯 | 090-2386-5737 |
| 電話 | 072-284-9482 |
| FAX | 072-284-9483 |
| 工場 | 堺市南区釜室 |
| 営業時間 | 携帯電話は朝8時から夜8時まで |
| 定休日 | 不定休 |
| ホームページ | https://urahouse.com/ |
| メールアドレス | info@urahouse.com |
● 私は、九州で修業した本物の和風住宅の大工技術に、奈良県吉野の材木を生かした独自の手法を加えてオリジナルの住宅、内装工事を行っています。
●「堺市のマンションをリフォームでは、スギのつるまき柱や上がり框(がまち)、イブキの欄間(らんま)などは材料を吉野で探し、手を加えて作りました。
こういう変木(へんぼく)は和風の部屋だけでなく、洋間にもワンポイントで使えます。吉野で規格に収まらない材料に出会いました。輪切りの材料を段違い棚に使ったり、ほかにはない床の間や柱を作ったりしました。
● 当初、大阪では反響がなかったが、5、6件やっていたら、大阪にもこういう和風が好きな方もいることがわかってきた。逆にこれまでにない面白い、お好み焼きみたいな、いろんな技術を持つ大工と評価してくれるお客さまも出てきました。
「こういう仕事は、口はばったいようですが、腕のある大工でないとできません。吉野の銘木店で材料を探し、オーダーに合わせて一つひとつ作る。
天然ものだから、最初に提案した材料がなくて、変更することもある。ある程度お任せしてもらわないとできません。もちろん、工場で切った材料で量販する大手メーカーではできない。私はいま59歳ですが、銘木店などとしっかりパイプができました。私のようにオリジナルを表現しようという大工は少なくなってきたので、いま技術を生かさないのはもったいない、あと10年頑張ろうと思っています」
● 浦工務店だと浦さんが大工兼社長兼現場監督なので、経費が少なくすみ、材料など家の中身に資金と手間を集中できます。「例えば、2千万円で受注したら、ほぼ正味の金額を建築に使うことができますから、よりよい住宅を提供できると自負しています」
● 和風住宅の新築、建て替えだけでなく、棚1枚をつけるなど簡単な内装工事も引き受けており、もちろん洋風建築も0K。
大工のオールラウンドプレーヤー、と言えます。浦さんは「個性あふれる注文住宅や部屋づくりが得意ですが、町の大工さんとして、ちょっとした木製品など何でも引き受けます」と話しています。
九州と大阪でしっかりと腕磨く
● 私は長崎県平戸市出身で7人きょうだいの5男。中学校時代、器械体操の市大会で優勝し、有名高校からスカウトを受けるほどだったそうですが、高校進学の際、父親から「器械体操の道に進むのもよい。だけど、きょうだいが多いから、1人くらい大工がおったら便利だ。
器械体操でいくか、大工になるか自分で決めなさい」と決断を迫られました。私は「体操ではメシを食えない。大工の方が夢がある」と考え、普通の高校を卒業後、地元の工務店に住み込みで弟子入りしました。
●「和風の家づくりを、今では想像できないほど厳しく、たたき込まれました」。そして4年後、先輩を頼って大阪の建て売り住宅の工務店へ。「ここでは九州との違いを学びました。九州の方が技術は難しいが、大阪は仕事が早い。九州で1か月かかるものが、大阪では3週間でやってしまう。3、4年間、お世話になるうちに、工務店から大工仕事を請ける手間請けをするようになり、2級建築士の資格も取って請け負いをするようになりました」

日本建築の技を後世に伝えたい
● 一般的な建て売り住宅と浦さんが手掛ける注文住宅の違いについて、浦さんは「今の建て売りは大工の手間を最低限に抑えるために、工場で規格化された材料を組み立てていく手法です。
工期も短縮されるし、図面通りのものは建つのですが、それでは、若い人は釘のよく利く打ち方や、建具の調整の仕方も身につけないままになるのです」と心配しています。
● 10数年前、吉野郡黒滝村で初めて変木を見た時の気持ちが忘れられない、と言います。「不況で売れない」と言う銘木店の社長の声に、浦さんは「もったいない。こんなところで腐らせてはいかん。使ったら、木が喜ぶ、銘木店も喜ぶ。そしてお客も喜ぶはずだ、と思いました。これがいまも私の基本的な考えです」
● こうして30年にわたって蓄積した日本建築の技能と技術を、「できれば高1の息子に継いでもらうこと」が浦さんの夢です。ただ「私が九州で経験したような厳しい修業を都会っ子の若者にやらせるのは難しいかも……。とにかく、いまは私が基盤をしっかりつくること。そうすれば、道は開けるでしょう」と将来へ期待をつないでいます。

